妖精の住む国 アイルランド
アイルランドにはどんな印象があるのでしょうか。
アイルランド、北アイルランドでは一年を通して、伝統音楽やダンス、演劇祭、映画祭またアートにグルメなど多種多様なフェスティバルやイベントが催されていて、旅行するにはもってこいの場所です。
元々ヨーロッパ本土広域に居住しながらも、ローマ帝国の侵攻や、ゲルマン民族の大移動とともに、現在のアイルランド島に移らざるを得なかった歴史の中で、ケルトの人々は音楽を愛し、大自然と伝統を守り、数々の伝説を今に伝えてきました。
彼らが残した遺産は、城や遺跡だけではなく、数々の名物や文化があります。アイルランドの旅は、単なる観光旅行でなはく、妖精と出会う癒しの旅。そんな言葉が似合うアイルランドにスポットを当てて紹介します。
アイルランド
アイルランド共和国(アイルランドきょうわこく、アイルランド語:Eire、英語:Ireland)、またはアイルランドは、北大西洋のアイルランド島に存在する立憲共和制国家である。北東に英国北アイルランドと接する。首都はアイルランド島中東部の都市ダブリン。ナショナルカラーは緑。
独立時の経緯によりアイルランド島の北東部北アイルランド6州は英国を構成するが、アイルランド共和国は18年のベルファスト合意以前は全島の領有権を主張していた。2005年の英エコノミスト誌の調査では最も住みやすい国に選出されている。
国名
正式名称はEire(アイルランド語:エァラ)であり、憲法は公式の英語名称について Ireland と定めている。国際連合やヨーロッパ連合においてはIrelandとして登録されているが、その一方で、「148年アイルランド共和国法」 (The Republic of Ireland Act, 148) は、憲法の規定を覆す効力は無いもののRepublic of Irelandを公称とする旨を定めている。
日本語では「アイルランド」または「アイルランド共和国」の表記が使われており、日本政府は「アイルランド」を用いている。漢字では愛蘭土と当てられ、愛と略す。アイルランド語名に由来するエールと呼ぶこともある。
歴史
- 紀元前265年ごろより、ヨーロッパ大陸よりケルト人の渡来が始まる。
- 紀元5世紀ごろ、聖パトリックらによるキリスト教の布教。
- 8世紀終わりごろより、ノルマン人(ヴァイキング)が侵入する。
- 1014年アイルランド上王 (High King) ブライアン・ボルー(Brian Boru、ブリアン・ボルーとも)がクロンターフでヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
- 116年ノルマン人の侵攻が始まる。1171年には、諸豪族がイングランド王ヘンリー2世の支配下に下る。
- 1541年イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立した。正式な移民は護国卿となったクロムウェル以降。
- 1588年イギリスがスペイン海軍を破る。これによりイギリスの海上帝国の時代が始まる。
- 1652年クロムウェルがアイルランド侵略。事実上の植民地化。
- 1801年グレートブリテン王国(イギリス)とアイルランド王国が合併する(実質的にはイギリスによる併合)。
- 182年カトリック教徒解放法の制定、オコンネルの尽力。
- 1840年代後半より、ジャガイモの不作が数年続き、大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果、多数のアイルランド人がアメリカ大陸へと移住していった。
- 105年シン・フェイン党の成立、アイルランド独立を掲げる。
- 114年アイルランド自治法成立、しかし第一次世界大戦勃発を理由に自治は保留。
- 116年イースター蜂起。アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される。
- 122年アイルランド自由国が成立し、イギリスの自治領となる。ただし、北部アルスター地方の6州(北アイルランド)はイギリスに留まる。これによりアイルランド内戦へと発展する。
- 131年ウェストミンスター憲章が成立し、イギリスと対等な主権国家(英連邦王国)となる。
- 137年新憲法が施行され、エールと改称する。
- 138年イギリスが独立を承認し、イギリス連邦内の共和国となる。
- 14年イギリス連邦を脱退。
- 18年ベルファスト合意と同時に、国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄。
政治
14年以降は共和制を採用している。元首は大統領で国民の直接選挙により選出される。大統領は基本的には名誉職であり、儀礼的な役割を主に務めるが、違憲立法審査の請求、首相による議会解散の拒否などの権限があり、国軍の最高司令官をつとめる。初代大統領は作家のダグラス・ハイドが就任した。10年から2011年までメアリー・ロビンソン、メアリー・マッカリースと二代続けて女性が大統領に選出されており、保守的傾向の強かったアイルランドの変化を象徴している。現在の大統領はマイケル・D・ヒギンズである。現在では北アイルランド問題が持ち上がっている。 アイルランドの議会(ウラクタス, Oireachtas)は二院制で上院がシャナズ・エアラン(Seanad Eireann)、下院はドイル・エアラン(Dail Eireann) と呼ばれる。議会から選出された首相(ティーショク, Taoiseach)が行政府の長となる。
173年にはEC(現在EU)に加盟している。
治安
アイルランドの警察は122年に創設された。アイルランドでは自国警察のことをガーダ(Garda、単数形Gardi)と呼ぶ。
統計上、欧州諸国の中で最も凶悪犯罪が少なく、治安のよい国とされてきた。一人当たりの被害件数で日本よりも少ない項目もある。しかし近年、悪化の傾向にある。
軍事
詳細は「アイルランド国防軍」を参照
アイルランドは陸海空三軍を擁し、平時の兵力は8,500名。他に陸軍の予備役13,000名がある。安全保障については中立政策を採用しており、第二次世界大戦には参戦せず、北大西洋条約機構(NATO)にも加盟していない。
国際関係
イギリスとの関係
オリバー・クロムウェルの侵略以降、民族や領域としての自治が剥奪され、イギリスにとっての最初の植民地支配を受けた。プロテスタントによるカトリック教徒への迫害があり、また植民地政策で工業化は遅れた。土地政策はイングランドのアイルランド支配にとって重要でしばしば深刻な影響をあたえた。
経済基盤は弱く大規模地主による小作農を使役した商品作物栽培という典型的な植民地型農業であり、アイルランド人の2/3は農業に従事していた。さらに羊毛のための囲い込み政策が追い討ちをかけ、これは1800年代前半に相次いで発生したジャガイモ飢饉の際に決定的な不幸として示現し、商品市場において高く売買される農作物がイングランドに大量に移送される一方でアイルランド地域からは食物が枯渇し、不作に見舞われた小作農の大量餓死が発生し社会問題となった。1840年は800万人を数えた人口は111年に440万人にまで減少し、アイルランド語を話す人口までもが激減した。
ジャガイモ飢饉はイングランドにとっても深刻な社会問題として衝撃をもって受け止められ、公共事業支援や食糧援助などが実施されたものの、貧困からくるアメリカへの移住など住民の離散を防ぐことは困難であった。イギリスで1840年代に沸騰していた鉄道バブルはこれにより崩壊した。マルクスは資本論の叙述でこの不幸について言及した。この時期に受けた困難はアメリカに移住したアイルランド人の原点となり、のちのアイルランド独立闘争のさいにしばしば言及された。また(帝国主義的植民地)経済システムが現実の災害をもたらした顕著な例として経済学や政治社会学でしばしば論じられた。
11年〜122年のアイルランド独立戦争では休戦協定が結ばれ英愛条約が締結された。アイルランド自由国が成立して独立戦争は終結したが、イギリス連邦下である事にも不満を抱く者はアイルランド内戦を起こした。
このように歴史的にイギリス(イングランド)への植民地支配の恨みが強く、今でも一部の住民の間では反英感情が強い。例えば第二次世界大戦の際には全ての英連邦諸国は対日参戦していたのに対してアイルランドはイギリスのチャーチル首相の対日参戦要求を拒否し、大英帝国戦艦のプリンス・オブ・ウェールズやレパルスが日本軍に撃沈されたニュースを聞いて歓喜に満ちていた。また、元インド総督のルイス・マウントバッテンはアイルランド国内でボートに乗っている際にIRA暫定派によって仕掛けられた爆弾で暗殺されている。
しかし、ヨーロッパの経済大国であるイギリスはアイルランド共和国にとって無視できない存在であり、経済的および人的交流は古くから盛んである。イギリス領北アイルランドではアイルランド帰属を求めてテロ行為を繰り返す過激派IRA暫定派などナショナリストとユニオニストとの紛争が起こっていたが、和平プロセスが進んでいる。アイルランド共和国は一部日本で誤解されているようなテロ行為の舞台とはなっておらず、北アイルランド和平が現実に近づくにつれ、様々な分野での南北の交流が広がっている。
17年にトニー・ブレア首相が100万の餓死者・100万の移民を出した1845年から184年のジャガイモ大飢饉について「今日それを反省してみるにつけ苦痛をもたらすものであった」と実質的に謝罪を行った。18年には北アイルランド和平合意が成立した。殺し合いに嫌気がさした事、南の経済発展にあせりを感じた事が契機となる。しかし強硬派が納得せず失敗しさらに10年が経過する。2005年、イギリス在郷軍人会アイルランド支部主催の第1次大戦戦没者追悼行事にアイルランド大統領が出席。アイルランド人兵士の名誉回復と追悼を訴えた。彼らはアイルランド自治獲得促進の意志をもって参戦したのにそれまではイギリスへの協力者と非難されてきた。2007年2月、クローク・パーク競技場でのラグビー・シックス・ネイションズの試合、アイルランド対イングランド戦が平穏に行われる。イギリス国歌の演奏に当たりアイルランド側から一つのブーイングもなく、イギリスとアイルランドの歴史的和解の象徴となった。この競技場は120年の独立戦争のときイギリス軍がゲーリックフットボール観戦中のアイルランド人を虐殺した場所で反英闘争の聖地であった。
アイルランドは伝統的に反英感情が強いものの、世界共通語である英語を使用しており、英語留学先として人気がある。
アメリカ合衆国との関係
イギリス植民地支配に苦しんだアイルランド人は同じ英語圏である国に次々と移住したが、イギリスの植民地であったカナダやオーストラリアではアイルランド人は差別される身分であったために、逆にイギリスから独立したアメリカ合衆国に多く渡った。そのためかアイルランド系アメリカ人は非常に多い。しかしアイルランド人移民が貧しい生活や異様な風習であった事、イギリスで被征服民として低くみられていた事、カトリック教徒であった事などのため、アメリカ人に嫌悪感をおこさせた。彼らは人種的に見て「白人」に含まれるが、アメリカ市民になるのにふさわしくないとされ、徹底した偏見の目と差別に苦しめられていた。しかし後にアイルランド系はアメリカで尊敬される存在となり、アイルランド系アメリカ人であるロナルド・レーガンはアイルランド訪問で暖かく歓迎された。
アイルランドは経済面ではアメリカ依存が非常に強い。アイルランドの奇跡の原因として、国内総生産の7%に相当するEUからの援助金を無視できない。それは特に教育制度と公共設備に投資され、アイルランドの経済能力を強化した。しかし、それよりも低い法人税と安い賃金は重要であった。それに惹かれて外国企業、とりわけアメリカの多国籍企業は生産基地とヨーロッパ事業本部をアイルランドに立地した。アイルランドの国語は英語であることもアメリカの企業にとって重要である。時差の結果、アメリカ本部とアイルランド支部との仕事分担で、 24時間体制の恩恵も得られる。エレクトロニクス、製薬のようなハイテク産業や、金融サービスなどにおける外国投資はアイルランド経済の原動力となっている。外国からの投資でアメリカは80%という圧倒的なシェアを占めている。現在アイルランドで活躍しているアメリカ企業は600社で、その従業員は10万人である。アイルランドはまさにヨーロッパ市場を狙うアメリカ企業の基地となっている。反面、アイルランドでのアメリカ企業の収益率は、他のヨーロッパの国よりも2〜3割ぐらい高い。
アイルランド人は植民地支配でイギリスに対して伝統的に敵対的であるが、イギリス植民地から独立して多くのアイルランド系住民を受け入れたアメリカに対しては非常に好意的であり、さらに旧宗主国が残した英語を駆使し世界一の経済大国のアメリカと取引を行っているのが特徴。これは同じくイギリスの植民地支配を受けたインドと似た傾向である。